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人間関係というのはお互いの勇気でできているのかもしれないという話
お互いにちょっとずつ勇気を出すのに頑張って、振り絞って、歩み寄って相手のことを思うこと。思って行動すること
延々受け身でいることでうまくいくなんてそうそうないんだろうな

20を超えて10代の頃と悩むことが変わったような気がしてたけど、本当は変わってない。
どっかで偉人の言葉みたいなので見たけど、人間15歳で人生の疑問のほぼ全ては出ている、らしい。
だから何歳になっても結局は変わんないんだろうなと思う。根本は、だって自分なんだし
最近よく悩むのは、将来のこと、恋愛のこと。あとちょっと昔のことも。

嫌になるくらい考え込むのは恋愛ばっかだなあ。嫌でも悩むくらいコンプレックスなんだと思う。
恋愛ドラマ見てもその関係にきゅんきゅんするわけじゃなくて女優俳優にきゅんきゅんしてるだけだしなあ。
むしろ色恋沙汰とかいうのは見た後かなり引きずってしまうし。フィクションなのに自分と比べて、あーあみたいな。
恋話も対してないのに女子会と称して集まってこじらせた話しして、無責任に縁を切れと言われたり、連絡とれと言ったりする。
そんな勇気もないから恋なんて始まらないし恋話なんかもない。こじらせた私たちは誰かが恋してくれるのを待ってる。
何もアピールしないでも一方的に愛してくれるのを待ってる。
ゾッとする。
失恋だなんだと言って泣いていたのも振り向かせようともしてないのに背伸びしようとしてただけ。
失う前に恋なんてしてなかった。だって相手を思って行動なんてしてないもん。友達にだってすることしてないもん、そんなの関係が縮むわけないからずっとただの先輩後輩。甘いなあ。
相手より少し多い好意を返すのが恋。人との距離の詰め方と全く同じなのに、なんでコンプレックスでがんじがらめになるんだろうな。

街コン行ってご飯までした二人とはもう連絡してない。今も繋がりがあるのはその時知り合った女の子たち。
そういうところで女が出会ってどうするんだって言われた。まあったくその通りですよ。参っちゃうね
でも逆にそういうところで知り合った女友達の方が恋活?のこと話しやすい。
学校の友達に言うのはしんどい。恥ずかしいのもあるし、そんなガラじゃないと思われてそう。
恋活なんて言ってる暇あるの今だけなんだろうけど。あー心配で死にそうだ


話は変わるけど、つい最近までブログのコメント欄見るの怖かった。もちろん昔のコメントを見返すのが。
昔のSS見返した時同様に懐古しちゃうし美化しちゃう。それはここに残ってる自分が惨めになる。
その頃も今も自分は発信してて、それに集まってきてくれてた人が今いないから自らの価値みたいな物を考えたりしてた。
ブログが流行りだったってのも大いにあるし大体はそれだし気にしなくていいんだけど。
なんで今大丈夫になったかっていうと物の見方が変わってきたからかなあ。

今私の部屋にはゲーム機2台とPC2台と陶の作品が肩を並べている。コントローラー持つ時のテンションと作品を掴むテンションは同じ。
それくらいどっちも私の中で大切なモノ、コトとして残っていった。昔は多分コメントに現れる言葉とか、アクセス数とか来た人とか履歴も確認してたりもっとブログを気にしてた。
でも今それが全くなくなった、興味がなくなったわけじゃなくて、陶の方に吸収されてったと思う。
作品っていうのは、私が作る作品っていうのは大体自分が経験した事、その時の感情、熱とか。
本当に個人が個人の事で感じたものだからすごく範囲が小さかった。し、それはみんなが共感できたり、全く伝わらなかったりした。
大体の出来事は対面の場で起きるから、思い出してみると美化されたり興奮で覚えてなかったりただの自分の感情ばかり見えて相手の事が見えなくなったりした。
でもブログのコメント欄やアクセス解析なんかは私の気持ちとは別に機械的にデータが残ってる。
私が感情的になって消さない限り。そんで私は消さなかった。なんか怪しいやつとか広告とかは消したけど。今はそれも残せばよかったかなとさえ思う。

そう思い出したのが大きい作品を作る事になった時。
今まで自分の手の大きさで、手癖みたいに作りやすい大きさで作ってたから個人の関係ってものがしっくりきてた。
でもその時は課せられた重さの粘土で一立体としての作品を作る事になってた。
私にとってそれは個人にならなかった。
大勢の他人、もしくは地域、関係を広げていかないと「違う」と思った。作品の規模と気持ちやモチーフを合わせないと気持ち悪いんだと思う。
一番に地元の人間関係を思い出して、次によく籠ってたブログの事も思い出した。
地元にいた半分くらいはブログやってるんじゃないかと思う、言い過ぎかもしんないけど。
文章には人が現れる。けど知り合いみんなの文章が読めるわけじゃない。
でもここはみんなの文章しかない。顔も年齢も性別も不確定の中で人間だけぼんやり見えてるのがなんとも都合がいいというか、不思議というか。
そんな都合の良さは作品にも当てはめる事ができた。最高だな。
そんで、とりあえずその作品を作り終える事ができて、次を考えた時やっぱりその派生が浮かんでくる。
この時点でブログは原風景に組み込まれたんだと思う。一つの源になったんだと思う。
だからコメント欄を読み返すのも大丈夫になった。それで作品ができるだろうから。
もうコメントの更新はないだろうし完全に過去のものとしてのストックがたくさん残っててよかった。

ちょっと意味わかんないけど今はそんな感じです。


そういえばFF14買ったわ。PS4もP5もトリコも買った。買いすぎだな??14はPCだけど。
ア〜ネトゲ開拓するの久しぶりすぎてちょっと怖いんじゃあ〜リアル友達がいるから優しくしてもらお…
おわり

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